50周年記念 限定メモリアルミニカー販売のお知らせ

富士スピードウェイは、2016年3月で開業50周年を迎えます。
そこで今回50周年記念として、「 EBBRO社製 1/43 限定メモリアルミニカー」を制作いたしました。

ミニカー購入者には、FISCO/EBBROのダブルロゴ入り非売品トートバックをもれなくプレゼント!
数量限定商品となりますので、ご購入はお早めに!

富士スピードウェイ敷地内、レストランORIZURUにて販売いたします。
往年の名車達を、この機会にぜひ手にお取りください。

50周年記念 1/43 限定メモリアルミニカー第3弾!

販売期間 2016年9月下旬
販売場所 レストランORIZURU
1メモリアル
ミニカー詳細
FISCOスペシャルセット
KE007 ♯51 / NOVA53S ♯19
販売価格(税込) 15,000円
商品内容 ・50周年記念パッケージ
・EBBRO社製 1/43サイズ
・非売品トートバッグプレゼント

FISCOスペシャルセット

超高速コース「FISCO専用デザイン」
1976 コジマKE007 ♯51
長谷見昌弘選手 予選10位 決勝11位

1976年日本で初開催されたF1グランプリ。当時は1戦のみのスポット参戦が可能であったため、富士スピードウェイのコース特性やドライバーの長谷見昌弘選手の体格に合わせてコジマKE007は開発された日本製のF1マシン。予選第1セッションでは4番手につけ世界の強豪を相手に速さを見せており、更なるタイムアップが確実視された予選第2セッションのアタックラップ中に最終コーナーでフロントサスペンションが折れてクラッシュし、マシンは大破してしまった。チームはサーキット周辺にあった大御神レース村の協力により、モノコックの新造などKE007を新たに造り直して、決勝レースに出走を果たした。決勝レースは雨の中行われ、Team Lotusのマリオ・アンドレッティ選手が優勝、長谷見昌弘選手は11位で完走した。

1978 NOVA53S ♯19
星野一義選手

1978年、富士グランチャンピオンシリーズ初の国産オリジナルシャーシーでのチャンピオンカー。1970年代、富士グランチャンピオンシップは富士スピードウェイを象徴するレースイベントであった。シリーズ当初は、マーチやシェブロンなど外国製シャーシーが総合力で勝っていた一方で、数チームはカウルのみに留まらず、オリジナルシャシーを制作して参戦していたが1978年、ついに星野一義のドライブするノバ53Sにより年間チャンピオンを獲得した。ノバ53Sは非常に個性的な外観と、速さ、そして勝利かリタイアのレース内容によりこの年のGCにおける一番の主役であった。翌年は富士GCのレギュレーションがシングルシーター車両の参加も可能となり、フォーミュラカーをベースとしたシリーズへと徐々に変貌していった。ノバ53Sもシングルシーターに改造されたノバ54Sとなり富士GCに継続参戦を行っていたが、スポーツカーとして設計された車両でフォーミュラカーベースの車両に対抗することは厳しく、美人薄命のごとくサーキットから消えていった。

50周年記念 1/43 限定メモリアルミニカー第2弾!

販売期間 2016年7月15日(金)〜
販売場所 レストランORIZURU
1メモリアル
ミニカー詳細
グラチャンファイナルセット
カフェトレドトリイサニー / レイトンマーチ89GC
販売価格(税込) 15,000円
商品内容 ・50周年記念パッケージ
・EBBRO社製 1/43サイズ
・非売品トートバッグプレゼント

1989年 グラチャンファイナル

ひとつの時代の終焉
1989 レイトンマーチ89GC ♯16
関谷正徳選手


1971年、富士スピードウェイは、日本グランプリに代わる大レースとして「富士グランチャンピオンレース(富士GC)」を開始した。富士GCは、通称「富士GC」、「GC」、「グランチャン」、「グラチャン」とも呼ばれ、2シーターのレーシングカーやGTカーが主な参戦車両となったほか、「ドライバーが主役のレース」という路線を打ち出したことにより、若手のドライバーによってレースが行われたため、レーシングドライバーの育成を促進させた。「レイトンマーチ89GC」は、関谷正徳選手のドライブにより1989年最後のグラチャンを制したマシンで、バブル真っ只中の80年代後半の象徴のひとつである「レイトンブルー」のカラーリングを纏いレイトンハウスチームのオリジナルシャシーとして富士GC用に制作された車両である。

1989 トレド246トリイサニー ♯16
影山正彦選手


マイナーツーリングは、「富士グランチャンピオンレース」のサポートレースとして開催されたが、メインレースであるのグラチャンを凌ぐほどの人気があった名物レースであった。レースは日産サニー、トヨタスターレット、ホンダシビック等の市販車改造車を職人レーサーたちのドライブにより、富士名物のロングストレートでのスリップ合戦を始めコース上にいたる所で激しいバトルを繰り広げた。「トレド246トリイサニー」は、名門トリイレーシングによるチューニング車両で、最後のマイナーツーリングレースにて優勝した車両である。

50周年記念 1/43 限定メモリアルミニカー第1弾!

販売期間 2016年4月1日(土)〜
販売場所 レストランORIZURU
メモリアル
ミニカー詳細
1966 日本グランプリセット
プリンスR380 #11 / ポルシェ906 #6
トヨタレーシングカーメモリアルセット【100台限定】
トムス86C #36TセリカLBターボ #1
販売価格(税込) 各15,000円
商品内容 ・50周年記念パッケージ
・EBBRO社製 1/43サイズ
・非売品トートバッグプレゼント

富士スピードウェイ 栄光の歴史

1966年 本格的レーシングカーによる日本レースシーンの幕開け
1973年 国産ターボ車によるレース初勝利
1986年 世界スポーツプロトタイプカー選手権 “WEC in Japan” 幻のポールポジション
1989年 ひとつの時代の終焉

1966年 第3回日本グランプリ
本格的レーシングカーによる日本レースシーンの幕開け
1966 ♯11 プリンスR380 砂子義一選手
1966 ♯6 ポルシェ906 瀧進太郎選手


1966年、富士スピードウェイにおいて初のビッグレースとなる「第3回日本グランプリ」が開催された。レースの見どころは、国産初の本格派レーシングカー「プリンスR380」を駆る砂子選手と生沢徹選手を擁するプリンスワークスと、当時ヨーロッパで最新のポルシェ906を駆るプライベーターの瀧進太郎選手による対決。序盤はR380に乗る砂子選手が先行したが、コース上での速さに勝るポルシェの瀧選手が25周目に砂子選手を抜き去り、ついにトップに立つ。しかし、レース中にピットで行う給油作業時間の違いにより、滝選手は逆転され4位からトップの砂子選手を追い上げることになった。瀧選手はトップの砂子選手より1周1秒以上速いペースで追い上げ、終盤には逆転の可能性もあったが、43周目最終コーナーにてオイル乗りスピンし、リタイア。プリンスR380の砂子選手がトップチェッカーを受けた。

1973年 トヨタ/FISCOメモリアル
国産ターボ車によるレース初勝利
1973 セリカLBターボ ♯1 高橋晴邦選手 / 見崎清志選手

1973年開催の「全日本富士1000kmレース」 トヨタ7ターボ計画着手以来、4年目の初勝利。毎年恒例であった夏の富士1000㎞耐久レースは、レース専用のプロトタイプカーから自動車メーカーワークスチームの市販車ベース車両など多種の車両参戦がレースファンの関心を集めた。決勝は台風の影響で豪雨と霧のレースとなり、ドライ路面で行われた予選時にはラップタイムがトップのプロトタイプカーとはおよそ10秒の差があったセリカLBターボが4周目からトップに立ち、追いすがるフェアレディやサバンナ勢に一度もトップの座を譲ることなく143周を走り切り6時間レースへと短縮されたレースで優勝を果たした。なお悪コンディションにより59台が出走した決勝レースの完走台数はたった25台であった。

世界スポーツプロトタイプカー選手権 “WEC in Japan” 幻のポールポジション
(1分14秒875)

1986 トヨタトムス86C ♯36T 
中嶋 悟選手 / ジェフ・リース選手 / 関谷 正徳選手



1986年のWEC富士において、トヨタ/トムスは新型エンジンの3S-Gを搭載するためホイールベースを100mm延長したスペシャルマシンのナンバー「36T」を登場させた。予選では中嶋悟のドライブにより、2位以下をおよそ2秒引き離すタイムをマークし欧州勢の度肝を抜いた。ところが「36T」でマークしたタイムは、正式にエントリーされた車両では無いとして競技審査委員会の裁定により無効となってしまう。決勝レースでは、幻のタイムをマークした車両とは異なるナンバー「36」トヨタトムス86Cによって9位を獲得する。

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富士スピードウェイ株式会社
営業部コース営業課

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